散歩のとき何か食べたくなって by 池波正太郎
2010年 05月 01日
池波氏は少年のころ(昭和のはじめ)株式仲買店の店員だった。月給は5円だったが、戦前の株屋においては使い走りの小僧さんにも過分なチップが出た。ときには月給の2倍3倍にもなった。つつましくすれば30円で家族3人が暮らせる時代、少年の身には分不相応な額といえる。
初めて資生堂パーラーを訪れた池波正太郎とその友人の会話である。
わたしは井上ともに先ず食べなれたポークカツをメニューから探したが、何とこれがないのだ。
「ね、ないだろう。だからおれは、チキンライスにしたんだ」
そこで少年のボーイをよんで、
「ポークカツある?」
「ございます」
「どこに?]
「ここに・・・・・・・」
と、ボーイが指したメニューの箇所には〔ポーク・カットレッツ〕と印刷してあるではないか。
「へーぇ。カツが、カットレッツかい」
「こいつはたまげたなあ」
とやりあう井上と私を、ボーイも、傍の客たちも笑いながら眺めている。
本誌の初版が1996年である。そこから14年の月日がたっているのだが・・・。そこにこうしたためてある。
資生堂パーラーのチーフは、46年間このパーラーで働いている高石鋭之助で、戦前の味を、
「数量的に、塩も胡椒も、これだけのものにはこれだけど、厳密に決められていて、意識的に壊さぬようにしているのです」。
以前私も書いたがここのチキンライスは絶品である。池波少年ら2人が資生堂パーラーのチキンライスを食べたとき・・・・。
「おどろいたよ、おい。チキンライスが銀のいれものに入って出て来やがった」
井上は、こういって瞠目して見せたものだ。・・・・・・・・・・・・・・・
はじめて食べた銀座の、資生堂パーラーの洋食のうまさは、もっと別(松坂屋の食堂のビーフステーキなどのことらしい)のうまさだった。
MENU
コンソメー・野菜ポタージュ (共に五十銭)
舌平目フライ・バター焼き (共に六十銭)
伊勢海老のフライ・コールド(共に一円二十銭)
チッキン・クルケット (すなわちチキンコロッケで七十銭)
ハムバーク・ステーキ (六十銭)
ホットローストビーフ・オントースト (一円)
そしてわれらのチッキンライスが七十銭。定食が二円と三円だった。