ナンシー関について
2009年 03月 04日
ナンシー関が亡くなったのは2002年6月だから、数えたら今年でもう7年にもなる。
7年前までは、つけたTV、たまたま見てしまったTVなどが、脱力するような内容だったり、
人だったりすると、毎週どこかしらの週刊誌のコラムでナンシーがツッコミを入れ、
それを読んだわたしやうさこ(?)は安心して眠れた。
昨日も書いたがナンシーの訃報を報じるワイドショーは本当に冷たかった。
TVにとって彼女の訃報が、彼らの功罪どちらに傾こうと、特集を組むくらいの価値はあったはずなのに。
その時わたしが見たワイドショーは「ブロードキャシター」だったのだが、福留が淡々と訃報の事実を述べたのに対し、その時のゲストの1人であった山藤章二は憤懣やるかたない面持ちでさえぎった。
(その話題を何のコメントもなく打ち切ろうとする福留は偽善者以下だ。)
山藤はこう語った
「ナンシー関の死はとてつもない損失で、わたしたちはこの損失の大きさを後々になって思い知るだろう」と。
「ブロード・・」のコメンテーターの中で山藤章二だけがわかっていたのである。
彼は最後までこの場で怒っていた。そして彼の姿を彼の「ブロード・・」で見ることはなくなった。
さすがに1本筋が通っている。
ナンシーの死以前からもそれ以後もTVは迷走を続けている。
私たちはもしかしたら地上波TVの最期を看取ることになるのやもしねぬ。・・合掌・・