堺雅人 by小倉千加子
2009年 09月 15日
<父なるものに抗う 堺雅人の静かな演技>
猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちれば人ですらない。
しかし、「無職」になることの不安は演劇をやっている人などには若い頃から常にあるものであり、落選した政治家を見て今さら何をと演劇をやっている人は思っているかもしれない。
「役者になるから大学を辞める」と子どもが言い出すと、たいていの親は反対するだろう。・・中略・・・
堺雅人は3人兄弟の長男である。
宮崎県の新学校に学んだ時、「現代社会」の教師で歌人でもある伊藤一彦先生から聞いた早稲田で過ごした青春のイメージを刷り込まれて早稲田大学に進学した。上京して2年間は市ヶ谷にある宮崎県の学生寮で過ごした。100名ぐらいの寮生がいたが、他の寮生とほとんど口を利かなかった。大学で入会した演劇研究会で標準語アクセントを学び始めたため、意識的に宮崎アクセントを避けたのである。今ではもう宮崎弁を喋れないという。18歳で上京した時、「自分の歴史がそこでプッツリ途切れてしまったような感覚」を持った。
「幼馴染やなまったコトバなど。それまでの自分にまとわりついていたものが綺麗サッパリなくなってしまったかんじなのだ。当時の僕にはそのサッパリ感がここちよかったのだが、身ひとつで海外に移住したような、フワフワした感覚はいまでも残っている」
この感覚は生きる上で演劇を選ばざるうぃ得ない人に共通する思いではないだろうか。世界ではすべてが「役」なのである。
「たとえば東京のどこかに自分の居場所をみつけたとしても、そこは故郷のかわりにならないし、かといって宮崎にはもう僕の居場所はない、ということだ。僕のなかには東京コトバでうまくいいあらわせないなにかがあるのだが、僕のさびついた宮崎コトバではもうそれは表現できない」
そうして堺雅人は「故郷」と「普通の生活」を捨てたのである。ただ演劇の世界だけに身を置いていたかったのだろう。大学を中退してしまう。家族はビックリし大騒ぎになる。歌人若山牧水の人生を知ったとき、「悩み、傷つき、すねたり強がったりする姿にしたしみを感じた」と控えめに書いている。
父親と同じような人生は送らないとなると、子どもにとって「父の背中」は必要がなくなる。・・略・・・
「普通の生活」を捨てた堺雅人は、演劇における「ふつう」と「静寂」について考え、それを「みえない力が拮抗し、その結果おとずれる、ふつうの状態」だというのだ。
情熱と平常心、決断と躊躇、自信と懐疑。そんな二つのエネルギーがキレイにつりあい「ふつう」になる。
だから、どんなに怒っていても常に笑っていられる。
同郷で同窓でもある堺雅人。でも何だかはるか彼方の人ではあるが久々に出現した誇れる有名人。東国原さんとは一線も二線も画す。
自分でいうのもナンですが私の作るチャーハンはうまい!具はタマネギとピーマンと魚肉ソーセージと卵。魚肉ソーセージじゃなくお肉とか使っちゃうとダメであります。↓
