グッドマザー・バッドマザー
2009年 11月 12日
そうなってきた時に、赤ちゃんにとって全存在だった母親がグッドマザーとバッドマザーの二つに分かれるわけです。最初は別の存在だと思うらしい。それを少しずつ、普段はグッドマザーだけど、自分の出方によってはバッドマザーにもある。バッドマザーだけど、自分がいい子にしていればグッドマザーにも変わる、ということを、理屈でわかる以前に、赤ちゃんは、肌でそれを学ぶということです。グッドマザーとバッドマザー、両方混ぜ合わせた母親というものに、絶対的な信頼を子どもは置くようになるわけです。
最初は、自分との違いも分からない、世界で一つだった母親という存在が、だんだん輪郭を持ってきて、グッドとバッドの二つに分裂して、それが統合されて、一人の存在として、自分とは違う人間、他者として認識できていく。
そうしながら、他者としての母親との信頼関係を、ごくごく幼い頃に身につけるわけです。普通の母子なら。
そうなってくると、この人は自分の味方だ、自分と同一人物ではないし、時々怖い人にもなるけれど、でも味方だというのが分かる頃、一歳になるかならないかくらいの頃から、赤ちゃんは人見知りを始める。
そうすると、お母さんは、すいません、この子、人見知りが激しくって、って言うけれども、実は人見知りをする子というのは、自分にとって唯一の味方である母親と、母親以外の人との区別がついているということだから、それだけ母親としっかり信頼関係が結べてるということなんですって。
親の都合か何かで捨てられちゃった子とか、乳児院で育てられた赤ちゃんというのは、その年頃になっても人見知りはしないんだそうです。みんなにニコニコいい子だから、この子は可愛くていい子ね、と言われるらしいんですけれど、実は、最も自分の味方になりうる、信頼できる相手を特定できないわけです、赤ちゃんとして。
誰が自分のおむつを替えてくれるか、誰が自分にミルクをくれるか分かんないから。時間によって日によって、違う人が入れ替わり立ち代りに来るわけだから、味方が誰か分かんないときには、さしあたってみんなにいいお顔しなきゃならないでしょう。生きのびる本能として。だから人見知りしないんだって。そうすると、人見知りしないというのは、いい事のようだけども、実はその子は本当の意味で信じるということをからだで覚えられずにいるということなんですね。
基本的な人間に対する信頼度というのは、その人の一生を左右しますから。無条件に人間の存在自体を受け容れて信じられるように育てられた赤ちゃんと、愛想はいいけれども、本当は誰が味方か敵か見分けられない、という人とでは、全然違う。
ここんとこの事件の容疑者や犯人たちの面々は、一見しごくまともな普通な人に見えます。でも、もしかしたらこの基本的な信頼関係が誰とも結べていないのではないのかしら?世間を騒がせている「婚活詐欺」などは、殺人までに及ぶとナンなんですが、ひとつ間違えれば似たようなこと、う~ん、やってないか?
レポーターが近所の人に容疑者について聞かれると「とてもそんな人には・・。」というコメントが多い。そりゃそうだろう、誰にでも愛想よくしなきゃ生きていけなかったのだから。