朝敵 小沢一郎
2010年 01月 19日
で、小沢である。「陸山会」の土地購入をめぐるナンタラカンタラ・・。そんなこときっと今に始まったこっちゃぁないのに、何故今?あくまで私見ですけど私はこう思う。
小沢さんは「朝敵」になっちゃった、と。
恐れ多くも、天皇陛下と習近平国家副主席の謁見を慣例を無視して強行しちゃった小沢さん。これでカンペキに「朝敵」になっちゃったんだよね。
今、「歴女」と呼ばれるギャルが増えつつあるそうな。call me 「歴熟女」。
半藤一利が語る『幕末史』」という番組が年末CATVで3回にわたって放送された。戊辰戦争の後、なぜ西南戦争がおこり西郷隆盛が死ななければならなかったのか、ず~っとわからないでいたが、何となく理解できた気がした。浅田次郎さんが好きで、だから「壬生義士伝」「輪違屋糸里」と幕末モノを読みふけり、うっすらとわかったのは、なぁ~んだ、所詮権力闘争かぁ~、だった。
新撰組と会津がいつのまにか「朝敵」にされた。旧幕府軍(会津・新撰組etc)の人数が<新政府軍>(薩摩・長州etc)より圧倒的に多かった「鳥羽伏見の戦い」。にも関わらず負けたのはご存知「錦の御旗」が新政府軍に渡ったから。つまり旧幕府軍は「朝敵」になっちゃった。
で~っ、こたび!小沢一郎氏は「朝敵」になちゃったのだ。我らが天皇陛下様をナンと心得るっ!というわけで、今まで明かされなかった悪事がX氏の逆鱗にふれ次々明らかになっていった。
と、これは私の想像です。あまつさえ、集団で訪中し胡錦濤氏に一人一人握手してもらい(小沢が要請したらしい)嬉々としている映像は何度も流れた。う~む、「朝敵めっ!」天誅!
※ところで会津の悲劇の藩主<松平容保>。白虎隊の悲劇もそうだが、松平容保が朝廷と徳川幕府にいかに忠誠だったかはどの歴史小説でも同じ。かてて加えて、松平容保の容姿が、「気品漂い涼しげな目元凛としてハリのある声」などとある。名君だったのは間違いないようで、となると、会津の末裔が、長州者との縁談なぞまかりならんと、未だに禍根を残すのはもっともな話しだと思う。だから朝敵にされた松平容保と、本当に朝敵な小沢一郎と一緒にされちゃぁかなわないわけです。

ブログをそろそろ更新せぇ~、とのお言葉多数。ありがとうございます。遅くなっちゃってすみません。
今年も戯言垂れ流しますの、広い心で見てやってください。