「シズコさん」 by佐野洋子
2011年 05月 26日
佐野洋子さんはかなり有名な絵本作家で、詩人の谷川俊太郎が最初の夫である、ということを初めて知った。よく聞く名前だのに、世の中には知ってそうで知らないことがまだまだあるわ。
「シズコさん」とは佐野洋子の母親の話し、回想といってもいいかな、お母さんもう亡くなっているし。2010年11月に佐野洋子さんも逝去されたんですって。
しかし猛烈な1冊でした。娘を愛せない母と母を愛せない娘のなんかソウゼツともいえる話しなのだが、事実を淡々と書いているもんで、時にあまりのソーゼツさに笑ってしまうと嫁ちゃんも言ってた。
・・・私は自分と母の関係は異常なものだと思っていたが、四十歳を過ぎて、自分の母が嫌いな人が沢山居るのを知って驚いた。
ある友人は時々首をしめたくなると云った。東京に実家があるのに下宿しているのは母親と顔を合わせたくないからだという若い編集者もいた。
フロイトは父と子の関係、母親と息子の関係は研究したが、母と娘の関係をシカトしたのはフロイトが男だったからだろうか。・・・・<本文より>
ところでシズコさんとあたしの母はよく似ていたように思う。違うのはシズコさんは家事万端をそつなくこなす人だったのに引き比べ、うちの母親はお手伝いさんがいなければ生きていけない人だったことだ。だからシズコさんよりタチが悪い、といったら草葉の陰で怒るかな?
そんなにひどい仕打ちをされたのに、佐野洋子は母親を超高級な老人ホームに入れたことをずーっとずーっと母親を捨てたと後悔して、自分を鬼だと言っている。あたしも老人ホームにこそ入れなかったものの、結果的に母親を捨てた。母親に死なれて、吐くほど後悔した。
ところでシズコさんとノブコさん(あたしの母)には驚くべき共通点があった。
私にズルパンというあだ名がついた。母はパンツまで作ったのだ。背が伸びてもいいように巨大なキャラコの白いパンツをはかされた。短くなったスカートよりもパンツは5センチ位はみ出ているのだ。<本文>
あたしも小学校1年生の頃だと思う。母のはいていた白いパンツ(そのころはズロースとよんでいた)をはかされて登校したことがあった。母はそのころからおへそまでかくれるパンツを好んでいたもんで、小学1年生のあたしにぶかぶかと大きすぎ、パンツで(地べたを引きずりそうなみっともない格好だった。その日がたまたま身体検査で級長のアキヨシ君が保健室に皆を誘導していったんだけど、あたしは服が恥ずかしくて脱げないでいた。アキヨシ君ちは、あたしんち(うどんや)にお揚げを持ってきてくれる、お豆腐やさんだったからちょっとだけ仲がよかったのだ。あたしはかなしくて恥ずかしくてナニも云えないでいた。そしたらアキヨシ君「サルマタはいちょらんと?」。 「サルマタ?」
多分パンツの別名だろうと賢い?あたしはすぐに理解した。・・・とまぁ・・・似てません?
ところでシズコさん夫婦は極貧の中で7人もの子供を産んだ。(うち3人の男子は死去)
いくら産めよ殖やせよの時代とはいえ、引き揚げ船に乗る収容所で、五人の子供がいるのは我が家だけであった。不気味だが、食うものもない外地の戦後に又一人仕込み下の妹が生まれた。母は引き揚げのとき、妊娠していたと後で聞いた。私は父がどういう人だか理解に苦しむ。徴兵検査で丙種で、骨と皮ばかりのやせこけていた父だ。あれはけだものか。けだものだったのかもしれない。・・・・最初の部分で父親をけだものと書き、50歳で死んだとき家族中が何故かほっとしている。
そして・・・・
種が滅びかけたとき、個人の意志を越えた生き物の本能が働く・・。貧しい国に子供がたくさんいるのは、育ちきれない子供を無意識にインプットしているのだ。・・・・
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