糸瓜水
2011年 11月 08日
先ほどあみんちゃん(スナックあみんのママ)と語る。あみんちゃんは出身が延岡の田舎(自称)で、趣味が釣りだから色んな自然に詳しい。
こないだ一緒に行った八代花火大会のバス道中で、車窓から見える田畑の黄金色を「あれなぁに?」と聞いたら、思いっきり呆れ顔で「稲」と答えた。
「稲?!」
「そうよ~、稲でしょ」
黄金色に輝く稲をあたしはそれまで見たことがなかったのだ。
あみんちゃんは「あなた街のこね~」、「そんなことも知らないの?」って顔に書いてあった。
で、色んな人(宮崎限定)に聞いて回ったんだけど、ほとんどの人は稲が黄金色になることを知らなかったんだよね。宮崎は稲が黄金色に色づく前に収穫するの?
で、も一つ無知をさらける「糸瓜忌」の話しなんですけどね・・・。
正岡子規の命日をどうして、「糸瓜忌(獺祭忌ともいう)」なのか、というと絶筆になった三句がいずれも糸瓜を題材にしているからです。
糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
をととひの 糸瓜の水も 取らざりき
この中の一句「 痰一斗糸瓜の水も間にあはず」の意味が今ひとつわかんなかった。
「糸瓜の水が間に合わないってどーゆーこと?」
そうしたらあみんちゃんが
「糸瓜から出る水を待っていたんじゃない?」
「そ、か~、糸瓜からは水が出るんだったね」
「糸瓜の茎を切って一升瓶をつっこんどくと2~3時間でいっぱいになるよ。子供のころよくさせられてた」
すごい!そうだわそうだわ、ヘチマコロンとか昔あったわ。んで、よくよく調べると「糸瓜は蔓を切って水を採り,咳止めや痰切りとして薬用される。」とあります。
その糸瓜水を薬用として使おうとしていた子規、けど、もうそれももう間に合わないだろうとさとったんだと思います。この三句を詠んだ翌日、34歳の若さで正岡子規は亡くなっています。
追記
をととひの 糸瓜の水も 取らざりき
あみんちゃんが「9月だったら糸瓜の水が間に合うと思う。それって本当に新暦?」
「明治だからもう旧暦は使ってないはずだよ。9月は今の9月でしょう」
あみんちゃん腑に落ちない顔で帰った。だからまた調べました。はい、旧暦でした。あたしが間違っていました。
つまり今でいえば子規の命日は8月19日。
「満月の日に取ったへちま水は特に効果がある」そうです。
「をととひの 糸瓜の水も 取らざりき」と詠んだのは8月17日だそうです。「をととひ」はだから満月にあたるわけです。その満月の水をとらなかったことを子規は後悔したのかもしれません。
俳病の夢みるならんほととぎす 拷問などに誰がかけたか ・・・・芳菲山人