叔父の褌について
2007年 07月 25日
晒(さら)し木綿6尺をそのまま用いる男性の下帯 とある。
六尺は1間、つまり1,8mの晒をきりりと股間を包み後は腹にぐるぐる巻いた。時代劇でよく出る「一心太助」を思えば理解できる。叔父が、ああいう風に股座をきりりと締めていたわけはない。
「あっ」と思い出した。あれはたしか「越中褌」
越中褌・・ 《細川越中守忠興が始めたというところから》長さ1メートルほどの小幅の布の一端にひもをつけたふんどし。
あ~、これこれ、これだった。この越中褌だったら、男性のモノは布に軽くくるまれているだけ。だから、右に寝転べばモノも右にノラリ、左に寝返ればモノも左にクラリ。
これだったら、いかにも叔父らしい。
叔父は戦争中シベリアで捕虜となった。祖母は「岸壁の母」と同じように叔父の生を信じ、帰りを待ち続けた。そして叔父は帰ってきた。そんな昔話を母から断片的に聞いていた。
叔父はシベリアの捕虜時代、下穿きはどうやっていたんだろう。そんなことを思い、胸が熱くなる。