幼稚園の同窓会でつらつら思う
2009年 06月 06日
50年以上ぶりの同窓会。谷口次郎氏の挨拶の中に「共愛幼稚園はエリート幼稚園だった・・・」というのを聞いて、なんか納得した。幼稚園のころわたしは変な話し「一匹オオカミ」だった。知っていたのは岩切くんぐらい。今日集まった人たちにもあんまり見覚えはなかった。子供ごころにも皆エリートの中、あたしは違うというのを感じていたんじゃないのかしら。でもでも、ひでこちゃんのことは良く覚えてた。今日ひでこちゃんに会えてホントに良かった。
「ひでこちゃんち材木やさんだったよね。あの場所今はどうしてるの?ビルが建ってるけど」
「裏のほうを駐車場にしているの」
わっ!あの広大な駐車場はひでこちゃんちのだったのね。
私は50年以上も気になっていたことを聞いた。
「ひでこちゃん、覚えてる?ひでこちゃんガムを飲んでしまって、泣いちゃったよね?」
ひでこちゃんは今でも変わらないおっとりした顔でうなずいた。
「おぼえてるよ。私わ~わ~泣いてお母さんに言ったら、お母さんがお医者さんに電話して、『大丈夫です。ウンコで出ます』って言われたって」。
あのガムをひでこちゃんにあげたのは私だった。だから何十年もの間、何回も何回も大事な飴玉を口の奥から取り出すように、そのことを思い出していた。思い出す度に笑みがこぼれる。ひでこちゃんが言った。
「家が近かったから、『ようちえんいこ~』って毎日迎えに行ってたよね。覚えてるでしょ?」
え?全然覚えてない。
「私がそうやって行くとね、キョーコちゃん、それから朝ごはん食べ始めるの」。
え?ってゆうことは私が朝ごはん食べてる間、ひでこちゃんは待ってたの?
彼女は笑いながら「うん」と言った。
この祭壇の左手に畳の部屋があった。先生しこっぴどく叱られた後「反省しなさい!」とこの部屋に閉じ込められ、わーわー泣いてると園長先生が「どーしたの?一緒にあやまってあげるから」」
このことを木村先生に訴えたら「覚えてないわ」とおっしゃる。??変だな・・アルバムを見て判明した。木村先生ではなかった。すぎの先生だった。木村先生は髪の毛がソバージュじゃなかったの。私を叱って反省室に入れたのはソバージュヘアの美しいすぎの先生だった。「木村先生、冤罪が晴れてよかったね~」とみんな。
新しく建てなおしが決まった築100年の教会
こだまてつろうクンとは20歳代遊び仲間だったけど、同じ卒園生とは!
園に4時に集まり若い牧師さんの説教を聞いた後、
「天にまします 我らの父よ
願わくは 御名を崇めさせたまえ 御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らがごとく 我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いだしたまえ
国と力と栄えとは 限りなく 汝のものなればなり アーメン」
とお祈りもした。あと指のうた
「これは 私の とうさま偉いかた
これは 私の かあさま優しいかたよ
これは 私の 兄さま背が高い
これは 私の 姉さま親切よ
これは 私のにこにこ赤ちゃん
みんな 私の おうちのかたよ」
などを歌った。そういえばこの「指のうた」好きだったな~。この歌詞には家族のユートピアが書かれている。ありえない家族の肖像ということが、幼心にウッスラとわかっていたんだと思う。5歳のおんなの子は、そういう邪念を払拭するために声を張り上げ「こ~れ~は~わ~た~し~の~・・・」と歌っていた?!そう、子供というものは存外何でもわかっているものなのだ。